死にたい私の生きる場所

生きづらさを共有したい。何の生産性もない日記。

死にたい私の仕事観

勤労は生きがいではなく、国民の義務である。

2日目にして、すでに身体が仕事を拒絶し始めた。頭痛の始まり、なかなかにしんどい。

自分で言うのもあれだが、端から見てそこそこ順風満帆な人生を送ってきたように思う。こと仕事に関しては、私が目標としていた職業に就くことができた。1年目や2年目は苦労も多かったが、憧れの世界に入れた喜びが大きく、わからないなりにがむしゃらに勤めた。恩師から授けられた「とりあえず3年は勤める」を胸に、働き続けた。このまま定年まで、少なくとも結婚や出産をするまで、この職場で働き続けるのだろうなというビジョンがなんとなく頭をよぎっていた。(それは夢物語に終わるわけだが。)

学生の頃、私にとって仕事は生きがいに成り得るものだと思っていた。楽しそうに働く方々を見て、私もそれになれるものだと思っていた。
事実、初めは仕事に対して仕事感がなかった。やりたかったことをやって、それでお給料をいただいて、なんて幸せなのだろうと思っていた。
…年々働くにつれて、仕事に対して義務感や煩雑さを感じるようになった。任される仕事が増え、認められていることを感じる反面、自由がきかなくなっていった。早く帰りたい、休みたい。そう思うのに、やりたいことを今までと同じようにやろうとすると時間が足りず、いつまでも帰れない日々が続いた。毎日11時時間ノンストップで働き、少し休憩してからまた働いた。休日は有って無いようなもので、平日に処理しきれなかったものも合わせると、平日の定時と同じ時間働いていた。
仕事の鬱憤を晴らすかのように、隙間を縫って人と会って遊んだ。飲みに行った。一時期は飲酒量が随分増えた。身体を休める日はほぼ皆無に等しくなった。

私にとって、結局仕事は仕事としてしか成り得なかったのだ。元々やりたいことだった分、その事実を受け入れるのにかなりの時間を要した。最近ようやく仕事をお金を稼ぐ手段として捉え、義務としてこなす代わりにやらないことを増やせるようになった。今は仕事を人生の1番ではない状態に持っていく努力をしている。空いた時間で楽しいと思えることができるように。

勤労は義務、最低限しなければならないことは存在しているが、それさえこなしていればお金は貰えるし生きていかれる。仕事柄子どもに夢や希望を与える必要があるのに、夢も希望も何もない仕事観だが、人生は自分のもの、自分が幸せになることが最も大切だと思って、過去も周りも顧みずに、これからも生きていく。