死にたい私の生きる場所

生きづらさを共有したい。何の生産性もない日記。

死にたい私と楽器

音楽や楽器は、世界を広げるためのツールだ。

楽器を始めて(正確には今続けている楽器を始めて)はや10年経とうとしている。無駄に経歴だけを重ねて、技術的には殆ど進歩していないように感じる今日この頃。
元々音楽が好きで始めた楽器だった。憧れもあったかもしれない。ただ私は練習に対して真面目ではなかった。楽しみながら努力を重ねる、ということに不向きだった。
音楽に真摯に向き合っている人には到底言えないが、楽器を続けているのは、職場ではないコミュニティが得られるという側面が大きい。そこは酷く居心地が良い。出来ない私を許容してくれる器の広さがある。そこへ行くと、自然と笑顔になれる。

…明日は久しぶりに奏者としての本番を迎える。この演奏会を機に、辞めるか続けるかをずっと悩んでいる。音楽に対する熱量は、学生時代よりだいぶ下がってしまった。仕事とは関係のない居場所は欲しい。だが音楽はどうしても仕事の一部を思い起こさせる。社会的な私を忘れ、ただの一個人として明日の演奏会を終えたら、何か心持ちが変わるのだろうか。

死にたい私とチョコレート

バレンタインデーは、ただの平日である。

世間、職場、バレンタインと聞いて浮かれる者もいる。反対に、落ち込む者もいる。
私にとって昨日は、ただの平日だった。仕事日だった。さらに言えば、3週間ぶりの通院だった。今の状態は、経過は良好、油断は禁物、といったところか。ルネスタは無くても眠れるようになった。リーゼは日によって、必要だったり不要だったりとまちまちである。抗うつ剤は継続して維持用量を飲むことになったが、約1ヶ月後の経過が良ければ、少しずつ減らすお達しが出るらしい。そういう意味で、昨日は喜ばしい日だった。

連日、次に行く職場の情報を仕入れているのだが、こちらはあまり喜ばしくない情報を得てしまった。私が病む大きな要因となった業務を行っている人が、次年度から役付きになりさらに忙しくなるらしい。その方には今の職場で繋がりがあり、大変お世話になった方なので、恩を返すために出来ることならば補佐したい気持ちがある。一方で、まだ完治すらしていない今の状況下で、その業務に携わることになったら病状が悪化することも目に見えている。
…もう1年後だったら、私の病状も安定して、もう少し力になれたのかもしれないと、身勝手なことを考える。1年後、私は何をしているだろうか。想像がつかず不安に感じる面もあるが、それ以上に楽しみも感じるところである。

死にたい私の送別会

恩を仇で返すような心地がして、心苦しい。

今の職場で勤めるのもあと少し。4月になったら、新しい職場で働くことになる。
今の職場は嫌いではなかった。共に働く同僚や先輩は良くしてくださる人が多かった。業務は元々やりたかったはずのことだ。サービス業という職業柄、客とは色々あったが、それもなんとか収めてきた。ただ、どうしても受け入れられない仕事があった。環境が合わなくなっていった。体調は好転しているが、薬の力を借りながら半年ほど前の状態にようやく戻ったところだ。同じところで、同じ仕事を続ける気には到底なれない。今の職場を後にすることに、一抹の寂しさはあったとしても、後悔はない。

…先日、職場の送別会に招待された。丁重にお断りさせていただいた。年上の人ばかりが来る会合、職場の人に恩義もある。ただ、自分の都合で、我が儘で去る職場に、送り出してもらう資格など無いと思った。正確には、職場は変わるけれども関連会社へ転勤する、それだけの話だ。送り出してもらうも何もない。

お礼も言いたい。謝罪もしたい。でも私にはそんな資格もない。私に残された出来ることは、ただ終わりの日まで、懸命に働くことだけだ。早く、そうしてひっそりと、消えてしまいたい。

死にたい私と年下の彼

モテ期、到来か。

ストレスとアルコールの相関性は、無視できないものだと思う。アルコールを摂取することによって、精神的に不安定さが増していく感覚はあるのだが、バーという新たな遊びを開拓してしまった矢先、その楽しさから身を引くことは難儀である。

昨日は2度目のドタキャンにより夕食が消え去った苛立ちを抱えながら、いつものお店に行ってしまった。常連化しつつあって、身体にもお財布にもよろしくない。
訪れたそこには私をバーの世界へ引き込んだ元凶が潰れた状態で存在していた。そうして、元凶の後輩で、いつぞや私を密かに推していると聞かされた気がした年下の彼がそこにいた。
元来色恋沙汰に無頓着で、奔放なタイプではないと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。後輩くんに夕食をご馳走になって、連絡先を交換するくらいの尻軽さが私にも備わっていた。元々昨日は振られて憂さ晴らしに訪れた店だ、その行為に罪悪感など沸かなかった。

ここ1、2年で男性と交流する機会が随分増えたように思う。綺麗になったと褒められることも増えた。花盛りの時期なのだろうか。今の彼に愛想を尽かしたわけではないが、若さが保たれている今のうちに、多くの可能性から最善だと思われる道を選びたいと思うのは、傲慢だろうか。

死にたい私が泣いている

人は可塑性と不可逆性を持ち合わせているらしい。

昔から涙もろい方だった。よく言えば感受性が豊かなのだが、悪く言えば情緒不安定。高校の頃から、その不安定さは年々顕著になっていった気がする。何かに追われて、追いつめられて、どうしたら良いか分からなくなった時にそれは溢れる。大学から社会人にかけては、怒りの感情も涙に変換されることを知った。悲しいことがあったわけでもないのに、涙が止まらなくなることが増えた。「混乱」、この一言が今の状態を表すには最もふさわしい気がする。情報が、感情が、処理しきれない時に溢れるようになった。それは同僚の前ならまだしも、顧客に対して思わず出てしまうこともあった。変えたいと思ったけれど、変えられなかった。

…最近は泣くこともなくなった。正確には泣けなくなった。本日、久しぶりに夜遅くまで働いた。元の働き方にわりと近い形で働いてみた。…無理だった。思考が働かない。久しぶりの頭痛、久しぶりにリーゼにお世話になった。仕事はもとより、雑談が辛かった。だいぶ快方に向かっていると思っていたが、やはりまだ万全ではないらしい。

人は変わりたくても簡単に変われないものだと思っていた。今日の働きから気づいたのは、私が変わってしまったことと、もう戻れないこと。変わってしまった自分を受け入れて、折り合いをつけていくことは酷く難しい。変わってしまった自分が悲しくて、やるせなくて、どうしようもなくて、久しぶりに少し泣いた。

死にたい私とカクテル

コンクラーベ、癖になりそう。

最近少し調子がいい。社会的な私はまだ完全復帰とはいかないが、とりあえず夜は熟眠できるようになった。大いなる進歩だ。頭痛の頻度や度合いも少し軽減されている気がする。年度が変わって、環境が変われば、より良くなるのだろうか。期待したい。

そんなこんなで、バー通いの回数がここ最近増えている。バーでは社会的な私を忘れて過ごせるから、酷く居心地が良い。本当は禁酒しなければならないのだけれど、低めの度数のものをなるべく選んで通ってしまう。
今日はバイト君の日だった。先日見かけた、マスターには出来ないらしい、ノンアルコールのカクテルを入れてもらった。甘い、イチゴミルク感のある味。美味しかった。大人になっても、お酒は甘い方が好きだ。そして炭酸のないものがいい。
2杯目を入れるか迷っていた時、彼がサービスでもう1杯くれた。味を変えたから試してほしいとのこと。一瞬私の心が読まれたのかと思って驚いた。2杯目は甘さ控えめだったが、それでも美味しかった。次回からは甘い方で入れてくれるらしい。心遣いに感謝すると同時に、また来ようと思った。ノンアルコールなら毎日でも飲めてしまう気がする。随分贅沢な遊びを覚えてしまったな、と思う。

死にたい私のLINE

一回り外側で起こる結婚ラッシュが心に刺さる。

週末、仕事が休みになるのをいいことに、今日も飲みに行った。バーを教えてくれた元同僚と鉢合わせ、彼の恋愛談を聞く中で、LINEのブロックを見破る方法を教授いただいた。
試しにやってみると、面白いほど見破れる。街コンやアプリで出会った人の半数は案の定ブロックされていた。仕事で便宜上繋がっていた何人かもブロックされていた。そっと友人リストと記憶から削除する。

そんな友人整理をする中で、過去の友人の苗字が知らない間に変わっていることに気づく。同い年の友人たちは生き方がどんどん多様に分かれていく。近しい友人は殆ど変化をしていなかったので気づいていなかったが、どうやら私の一回り外側では結婚ラッシュが炸裂しているらしい。さて、私はどうやって生きようか。相変わらず迷子である。