死にたい私の生きる場所

生きづらさを共有したい。何の生産性もない日記。

死にたい私と秋の夜

秋分も過ぎ去り、季節はとうに秋へと移ろってきた。死にたくなる度にここに戻ってきてしまう。結局身近なところには何も言えないのだろうと思う。貴方は私のことを知らない、そして私も貴方のことを知らない。そういう関係性で成り立つここなら、何を紡いだって許される気がして、つい筆が進んでしまう。

さて、今回の死にたい理由も何てことないただの多忙だ。それも、世間的にみたら甘えたことを言っているような、酷く幼稚で稚拙な、ただ働きたくないという、それだけの。忙しくなると、本当に心を失うような心地がする。

4月の繁忙期は耐えられるのに、なぜ9月の繁忙期は耐えられないのだろう。季節性うつ、なんて聞き齧った言葉を検索エンジンにかけては、何か違うと閉じるのを繰り返す。

きっとハタから見たら大したことない忙しさでダメになりそうな自分が嫌いでたまらない。助けてって言えない自分が嫌でたまらない。そうしてまた薬に手を出そうとする自分も嫌でたまらない。ようやく飲まずに過ごせるようになったのに。少し嫌なことがあっただけで。精神的に依存している。

泣きたいのに泣けない。疲れているのに眠りたくない、眠れない。もう何もかも全て投げ出してしまいたい。そんな勇気すらなくてまた自分が嫌になる。

…随分と支離滅裂になってしまった。まあここに来る時は毎回か、と思い直す。正常な時にはここは必要ないのだ。だって、ここは死にたい私の生きる場所だから。

長い長い秋の夜、願わくば共に祈ってほしい。明日は平穏無事で過ごせるように。無理に笑顔が作れなくてもいいから、せめて無表情にはならないように。何かに心を動かされるように。幸せのかけらを拾えるように。