死にたい私の生きる場所

生きづらさを共有したい。何の生産性もない日記。

死にたい私のバー通い

注:良い子は真似しないでください。

電車帰り、学生時代のバイトの同僚に偶然出くわした。向こうもどうやら帰宅途中だったらしく、地元が近いこともあり、地元のバーで飲む流れになった。約1年前にも似たような流れでバー飲みを体験しており、若干のデジャヴを感じながら、バーの戸を開いた。

1年前のバーでの邂逅をきっかけに、昨年の夏からちょくちょくバー通いをするようになった。元々お酒はわりと好きな方で、特に甘めのカクテルを好んで飲んだ。地元で個人経営をされているこじんまりとしたバーであるため、バーのわりには安価で様々な種類のカクテルが楽しめた。

今日のバーでは、バイトの元同僚の他に、少し年配のお姉様、前にも見かけたことのあるお兄さん、常連さんの間でよく名前が出てくるお姉さん、私が行くとだいたいお見かけするおじさま、多くの人に囲まれて楽しい一時を過ごさせてもらった。人のお話を聞くのは楽しい。大半はバイトの元同僚の結婚願望の話だったが。(余談ではあるが、本日の会話の中で、彼は何度も死にたいと繰り返していた。しかし本当に死にたいと思う人は死にたいなどと言わないものだ、と思ったのはここだけの秘密である。)バーの世界はある意味自由だ。縛られるものが何もない。たとえ隣の人の名前を知らなくとも、お酒を交えれば楽しく会話を成り立たせることができる。

バーに通うようになったのは、偶然の邂逅がきっかけではあったが、それ以上に1人で入れ、社会的な私を忘れられる空間として、居心地の良さを感じていたからだ。マスターや常連さんとのやり取りも、軽快で心地よかった。バーにいる時は、私は私の肩書きをしばしば忘れることができた。

…本当は飲酒を禁じられている身ではあるので、同じような病を抱えている人はなるべく真似しないでほしい。笑
ただ、コミュニティを幅広く持っていることは、息易く(生きやすく)してくれると思う。狭い世界で、限られた人脈の中で過ごすのは、逃げ場のない息苦しさをもたらすこともある。有限である人生、自分が好きだと、大切だと思える人との時間を増やして過ごしていきたいものだと思う。