死にたい私の生きる場所

生きづらさを共有したい。何の生産性もない日記。

死にたい私と仲間たち

居場所はまだそこにあったようだ。

久しぶりに、趣味で楽器を演奏しに行った。半年ぶりくらいに、その団体のメンバーに会った。嬉しかった。衰えもあってほとんど演奏できなかったけれど、それでも楽しかった。久しぶりに大勢の人に会って笑えた。

真剣に音楽をしている人に対しては冒涜になってしまうかもしれないが、私にとって音楽や楽器は、人と繋がるツールだった。その団体には学生時代の友人や先輩・後輩もいたが、大半は初めましての人々の集まりだった。所属し始めた頃は馴染めない部分もあったが、その団体を介して、仲間と呼べる人が随分増えた。楽器を奏でている時、団体のメンバーといる時、私は社会的な私を忘れられた。一個人として、悩みも苦しみも喜びも幸せも感じられた。それらを仲間と分かち合うことができた。

社会人になってから新たに構築できたコミュニティを、手離したくないと思う。居心地の良いその居場所を今後も大切にしていくために、努力を重ねることは苦ではない気がした。学生時代の部活動に戻ったような感覚で、少しずつ、私の幸せや楽しみを取り戻していきたい。とりあえず、練習頑張る。