死にたい私の生きる場所

生きづらさを共有したい。何の生産性もない日記。

死にたい私と恋愛ドラマ

虚構の世界のようには、この世界は甘くない。

連休明け、ハードに働くとしんどくなってしまうと思ってセーブしながら働いた。それでもしんどいものはしんどかった。人と関わることを避けたくなるようになった。集団での生活に向いていないなと思う。

今夜は今期最も期待していたドラマの放送があった。ときめきを求めて観始めたそれは最高だった。
虚構の世界は好きだ。ドラマ然り、小説然り、漫画然り。苦しみも悲しみも喜びも幸せも全てその世界の中で完結されている。現実に生きる私に害を及ぼさない。それなのに、現実の世界にいる私達に訴えかけてくるものがある。虚構の世界の住人が、リアリティをもって私達の目前に現れる。だんだんと、虚構が現実味を帯びてくる。

少し前まではドラマを観る時間もなかったが、最近は意識的に休もうとしている部分もあって、どっぷりと虚構の世界に浸れる。現実は虚構の世界ほど甘くは出来ていない。だから、どこか夢を見る必要があるのだと思う。現実だけで生きていくには、この世界はどこか息苦しい。

死にたい私と女子会

よく話す相手は、酷く疲れる。

数年ぶりに、学生時代の友人に会った。お互いパートナーができ、惚気話のひとつでも出来たらと思ったのだ。交際をしている自分達と人とを比較してみたい、という思いもあった。
会合自体はなかなか充実したものだった。私の周りは大人びた人が多いのか、パートナーの年上率が異常に高い。本日会った友人も、多分にもれず10ほど離れた人とお付き合いをしていた。友人と話して、私と彼は相当ドライな関係であることを再認識した。

しかし、友人の会話のスピードは速い。よく話す。加えて、喜怒哀楽の怒が強めな人だった。良く言えば素直で情緒的である。私とは違いすぎるそれを羨ましく思う部分もあったが、それ以上に私とは違いすぎて、会話を聞いているだけで疲れてしまった。久しぶりに人混みに出向いたのも、疲れる要因のひとつだったのかもしれない。その友人のことは嫌いではないが、長時間は一緒にはいられない。気の遣う友人よりも、気の遣わない他人と飲んでいた方がよっぽど楽かもしれないと思った次第である。

死にたい私の好きなこと

私はどうやら多趣味な方らしい。

今日は今月の残りで唯一の終日オフだ。他人に合わなくて良い休日。なんと平和な休日かと思い、思う存分享受した。最近少しずつ薬が無くても眠れるようになってきた気がする。

そんな休日、今日は引きこもってひたすらゲームをし、DVDを見て楽しみ、非生産的な1日を過ごした。これだけではなんだかなと思い、楽器を出して少しだけ練習をした。
他人から言われて気づいたのだが、私はどうやら多趣味らしい。好きなことと言えば、ゲームをして、漫画を読んで、好きなアーティストのライブに行き、ドラマを観て、ショッピングに出かけ…といったところか。人に誇れるような趣味ではないと思っていたのだが、他人にはそもそも趣味と呼べるものがないらしい。大層驚いた。
趣味には非生産的なもの(消費するもの)と、生産するものがあると思っている。非生産的なものは到底人に開示できないと思っていたため、楽器も続けて、人にはそれを趣味だと公言している。このブログもある意味趣味である。文才があるわけではないが、文章を書くのはわりと好きだ。自分の思考が文字として目に見える形で整理されるのが楽しい。

しかし趣味を消費するにも体力がいる。生産するのは尚更だ。楽器を練習していても、集中力がすぐに途切れる。そういう意味で、私はまだ万全ではないのだろう。好きなことを全力で長時間楽しめないことに悲しさを感じる。

死にたい私のバー通い

注:良い子は真似しないでください。

電車帰り、学生時代のバイトの同僚に偶然出くわした。向こうもどうやら帰宅途中だったらしく、地元が近いこともあり、地元のバーで飲む流れになった。約1年前にも似たような流れでバー飲みを体験しており、若干のデジャヴを感じながら、バーの戸を開いた。

1年前のバーでの邂逅をきっかけに、昨年の夏からちょくちょくバー通いをするようになった。元々お酒はわりと好きな方で、特に甘めのカクテルを好んで飲んだ。地元で個人経営をされているこじんまりとしたバーであるため、バーのわりには安価で様々な種類のカクテルが楽しめた。

今日のバーでは、バイトの元同僚の他に、少し年配のお姉様、前にも見かけたことのあるお兄さん、常連さんの間でよく名前が出てくるお姉さん、私が行くとだいたいお見かけするおじさま、多くの人に囲まれて楽しい一時を過ごさせてもらった。人のお話を聞くのは楽しい。大半はバイトの元同僚の結婚願望の話だったが。(余談ではあるが、本日の会話の中で、彼は何度も死にたいと繰り返していた。しかし本当に死にたいと思う人は死にたいなどと言わないものだ、と思ったのはここだけの秘密である。)バーの世界はある意味自由だ。縛られるものが何もない。たとえ隣の人の名前を知らなくとも、お酒を交えれば楽しく会話を成り立たせることができる。

バーに通うようになったのは、偶然の邂逅がきっかけではあったが、それ以上に1人で入れ、社会的な私を忘れられる空間として、居心地の良さを感じていたからだ。マスターや常連さんとのやり取りも、軽快で心地よかった。バーにいる時は、私は私の肩書きをしばしば忘れることができた。

…本当は飲酒を禁じられている身ではあるので、同じような病を抱えている人はなるべく真似しないでほしい。笑
ただ、コミュニティを幅広く持っていることは、息易く(生きやすく)してくれると思う。狭い世界で、限られた人脈の中で過ごすのは、逃げ場のない息苦しさをもたらすこともある。有限である人生、自分が好きだと、大切だと思える人との時間を増やして過ごしていきたいものだと思う。

死にたい私と仕事と結婚

ライフステージの変動は、他人も自分も変えていく。

所謂アラサーと呼ばれる年代に差しかかり、学生時代の友人達から結婚した報告や彼氏が出来た話を聞く機会が増えるようになった。かくいう私も多分にもれず、彼が存在するようになった。しかし、就職までは足並みを揃えてやってきたはずの友人達がライフステージを上げていくにつれ、私自身はどうしたいのかを、より切実に考えるようになった。

就職したての頃は、仕事が第一だった。したかった仕事をさせていただいているという誇り・自負があった。向こう見ずで尊大な部分もあり、頼まれ事は自分のキャパシティを広げるためのものとして、何でもやるようにしていた。出来ることや気づくことはどんどん増えた。それに伴って、しなければならないことも増えた。そうして、限界を迎えた。

彼と親密な付き合いをするようになったのは、ちょうど私が病み始めた頃からだった。仕事を身体が受け付けなくなっていくのに反するように、彼にのめり込んでいった。もしかしたら彼にのめり込んだ結果、仕事がおろそかになってしまったのかもしれないが。ともかく、彼との出会いは私の今までの生活や考え方を根本から覆すような衝撃を与えた。

「結婚願望」は昔からあった。ただ、その想いは朧気で、いつかは…程度のものだった。彼との出会いによって、結婚が現実味を帯び、周りの環境もあってか、願望も強まっているように感じる。彼と結婚まで辿り着けるかは不明だが、そうでなくとも、私の中に「仕事よりも夫を支えたい」という想いが強く存在していることを自覚した。

今は体調を元に戻すことが第一優先だが、それと同時に、将来に先駆けワークライフバランスを見直す時期に突入したように思う。いかに仕事をしないか、家庭を大事にする時間を作るか。生活力を高めるトレーニング(花嫁修行)も必要だ。ここ数ヶ月で、ようやく自分の変化を受け入れられるようになった。来年度は正式に転勤も決定した。これを機に、自分自身の望む生活のあり方を再考したい所存。

死にたい私は夜行性

社会人、悉く向いていない。

私は基本的に夜行性だ。だから、この日記の更新も基本的に夜中の0時前後である確率が高い。
昔から早起きが苦手だった。幼稚園児や小学生が大好きな戦隊もの魔法少女ものなど、ありとあらゆるアニメには目もくれず寝続けるような子どもだった。大人になったら自然と直るものかと思っていたが、そう簡単にはいかないどころか、自分が夜型の人間であることを認識し、受け入れるようになってきてしまった。

社会の流れと私のベストな流れは、3時間ほどずれている。ベストパフォーマンスをするためには、9時起床、11時出勤、20時退勤、2時就寝、くらいのペースで生きていきたい。そんな話をしたら、職場の先輩からは社会から取り残されると言われてしまった。

就職する時は、日中勤務・土日祝休みという世の中の流れに沿って生きたいと思い、職業を決めた。(実際は土日にもコンスタントに仕事らしき何かが入ってくるのだが。)…最近は、社会から取り残されても構わないから、自分のペースで生きてみたいと思うようになった。社会人、悉く向いていないな、と思う。そんな私は明日も8時に出勤し、20時まで働くのだろうな、と思う。思うように時間が使えないならば、1日が30時間になればいいのに、とバカなことを考える。

死にたい私の仕事観

勤労は生きがいではなく、国民の義務である。

2日目にして、すでに身体が仕事を拒絶し始めた。頭痛の始まり、なかなかにしんどい。

自分で言うのもあれだが、端から見てそこそこ順風満帆な人生を送ってきたように思う。こと仕事に関しては、私が目標としていた職業に就くことができた。1年目や2年目は苦労も多かったが、憧れの世界に入れた喜びが大きく、わからないなりにがむしゃらに勤めた。恩師から授けられた「とりあえず3年は勤める」を胸に、働き続けた。このまま定年まで、少なくとも結婚や出産をするまで、この職場で働き続けるのだろうなというビジョンがなんとなく頭をよぎっていた。(それは夢物語に終わるわけだが。)

学生の頃、私にとって仕事は生きがいに成り得るものだと思っていた。楽しそうに働く方々を見て、私もそれになれるものだと思っていた。
事実、初めは仕事に対して仕事感がなかった。やりたかったことをやって、それでお給料をいただいて、なんて幸せなのだろうと思っていた。
…年々働くにつれて、仕事に対して義務感や煩雑さを感じるようになった。任される仕事が増え、認められていることを感じる反面、自由がきかなくなっていった。早く帰りたい、休みたい。そう思うのに、やりたいことを今までと同じようにやろうとすると時間が足りず、いつまでも帰れない日々が続いた。毎日11時時間ノンストップで働き、少し休憩してからまた働いた。休日は有って無いようなもので、平日に処理しきれなかったものも合わせると、平日の定時と同じ時間働いていた。
仕事の鬱憤を晴らすかのように、隙間を縫って人と会って遊んだ。飲みに行った。一時期は飲酒量が随分増えた。身体を休める日はほぼ皆無に等しくなった。

私にとって、結局仕事は仕事としてしか成り得なかったのだ。元々やりたいことだった分、その事実を受け入れるのにかなりの時間を要した。最近ようやく仕事をお金を稼ぐ手段として捉え、義務としてこなす代わりにやらないことを増やせるようになった。今は仕事を人生の1番ではない状態に持っていく努力をしている。空いた時間で楽しいと思えることができるように。

勤労は義務、最低限しなければならないことは存在しているが、それさえこなしていればお金は貰えるし生きていかれる。仕事柄子どもに夢や希望を与える必要があるのに、夢も希望も何もない仕事観だが、人生は自分のもの、自分が幸せになることが最も大切だと思って、過去も周りも顧みずに、これからも生きていく。