死にたい私の生きる場所

生きづらさを共有したい。何の生産性もない日記。

死にたい私の職場での居場所

どうやら周りの大人達も人と関わるのに向いていないようだ。

最近職場の部署の席が嫌で、他の部屋を利用させていただいている。人の会話が入ってくることが耳につく。少し前までは何気なく流していたり、こっそり聞き耳を立てていたりできていた音が、今は雑音に聞こえて仕方がない。
人の声が煩雑になるに従ってか、人の気配や機嫌も敏感に察知するようになった気がする。特に怒りの感情に対して、拒否反応が出る。他人がイライラしている傍にいると、その感情が不快な波となって伝播してくる感覚がする。

私に職場での逃げ場を与えてくれた先輩も、どうやら人と合わせることに向いていないそうだ。聞けば、同じような人種が他にも存在するようで。別の部屋に逃げ場を確保している人が何人も存在するらしい。みんな同じ、という言葉に少し救われた。

死にたい私は八方美人

いい子でいるのを、やめようと思う。

自分で言うのもなんだが、幼少期から私は所謂「いい子」として育てられてきたように思う。最も古い記憶は小学生低学年の頃だ。下校中、周りと一緒にふざけながら帰ったら、貴方はしっかりしているんだからちゃんとしないと、というようなことを言われた。その当時は友人と同じように楽しくしていたのに、なぜお目付け役のようなことを言われるのだろうと、叱られ方の意味がわからず反抗心のようなものがくすぶった。ただ、私はそういう役割の人らしい、ということは理解した。
親から強制されたわけではないが、勉強はすることが当たり前だと思っていた。だから学業はそこそこできたし、周りの大人も褒めてくれた。知識が増えることは良いことだと信じていた。憧れの人は賢い人だったから、余計に私もそうありたいと思った。
大きな反抗期はなかった。家族から怒りやイライラを見ることが多々あり、そうならないでおきたいと思ったからだ。怒りは他人のイライラも増幅させる。余程のことがない限り、腹を立てることはなかった。
率先して、リーダー職を引き受けた。これも憧れのようなものが大きかったのかもしれない。多くの役をもらった。みんながやりたくなさそうな役職は、より積極的に引き受けた。そうあることで、他者から認められると思っていた。
初めは自分がしたいと思っていたことをしていた。していると思っていた。それが、だんだんと、他者目線で考え行動するようになったのは、果たしていつからだろう。

…大人になった私は、何かしらの役をもらうことで、周りから認められると思う人に育っていた。良く言えば聞き分けのいい子。悪く言えば利用しやすい子。周りの大人達は、学生時代に思っていたほど大人ではなくて、大人の世界は子どもの世界と同じくらい自由な一方で、社会的には限りなく不自由であることを知った。私が学生時代にしてきた「いい子」であろうとすればするほど、損をしている気持ちになった。

社会には様々なタイプの人間がいる。わかっていたつもりで、全く理解していなかったのだ。普段接している顧客より、同僚の方がよっぽど多様的であることに。

今私が暮らしている大人の世界は楽しくない状態だが、私が子どもの頃に見た大人の世界はもっと楽しそうに見えた。おもしろきことも無き世をおもしろく住みなすものは心なりけり、という高杉晋作の辞世の句を思い出す。いい子でいるのをやめて、自分が楽しいと思うこと、好きだと思えることをしたいと思う。そうして、私が子どもの頃に見ていた世界を子どもにも与えてあげたい。

死にたい私と映画

泣きたいのに、泣けない日々が続く。

今日は午後から延々と映画を観た。ひとつは美女と野獣、もうひとつはシンデレラ。ディズニーヲタクというわけではないのだが、録画したものを観る暇がなかったのだ。
ディズニープリンセスはベルが最も好きだ。知性を大切にし、行動力も溢れる彼女は、見習いたい部分が多い。
映画館で観た際は、野獣の歌とエンディングで泣いたものだが、なんだか2回目は泣けなかった。最近泣きたい気分にはなるのに、泣けない日々が続いている。何故だろう。わからない。
明日から、また日常が戻ってくる。平日は酷く息苦しい。1月の終わり、今年の目標は働かないことだったことを思い出す。早く帰れるよう、明日も善処しよう。

死にたい私の散財

年々お金の使い方が荒くなっていく。

元々ショッピングは好きだった。売っているものを見るだけでも幸せだった。無限にあるお店・品物から、自分のドストライクゾーンに入るものを見つけ出す瞬間が好きだった。
社会人になってから、手に余るほどのお金を手にするようになった。結果、贅沢を覚えた。形の残らないものにも投資するようになった。エステやマッサージなどがその良い例だ。
大金を支払うことに躊躇しなくなってしまった。これはものすごく怖いことだ。一度贅沢を覚えてしまった身体は、なかなか元の生活には戻れない。ある日とは私に、仕事でストレスがかかる分だけお金の消費も激しくなると言った。本当にその通りだ。
全く貯金をしていないわけではないが、少しは自制というものを思い出した方が良いと思う今日この頃である。

死にたい私の努力

頑張ると無理の境目がわからない。

私の仕事は落ちものゲームのようだ、と書かれていたものを読んだことがある。具体的にいうと、テトリスのようである。降ってくる大量の仕事を効率的に処理する方法を見極め、的確にさばいていく。消しても消しても沸き出る仕事。ひとつ積み方を間違えると、あっという間に苦しくなる。大量に消える瞬間は楽しいが、終わりはない。
今日も今日とて、溜まった仕事をいかに処理するかを念頭に置き、ひたすら消していった。2時間ほど処理し続けたところで力尽きた。頑張る、と、無理する、を履き違えたのかもしれない。周期的なものもあって元々体調が良くなかったせいか、頭痛、吐き気。眠くはないが、頭は重い。身体を動かすのが酷くしんどい。立っているのが辛い。それでも1日、乗り越えた。

周りから見たら、死にそうになりながら仕事をしている風には到底見えないのだろうと思う。当の私は死にかけな身体と頭を奮い起こして、必死で働いている。…まぁそんなこと言い出したら、周りも皆、それぞれの事情を抱えながら毎日必死で働いているのだろうけれど。
無理しない程度に頑張りたい。けれど、どうすればいいかわからない。そうして私は明日も無理をするのだろう。

死にたい私の疲労

1週間が、長すぎる。

木曜日は業務がとりわけハードだ。週の疲れが溜まったところにやってくるのだから、たまったものではない。そもそも今週は日曜始まりなのだ。明日も出勤、下手したら明後日も出勤。7連勤、キツすぎる。
ここ数日、帰宅してから毎日ずっと寝ている。というか、休憩できる時間はだいたい寝てしまう。うつの初期症状の状態に戻ったといえばそれまでだが、仕事は滞る。自分の好きなこと、やりたいことをする時間もエネルギーもない。悲しい。
もっと悲しいのは、その状態を隠して社会生活を営む必要があることだ。同僚はともかく、顧客に私の事情は関係ない。ないエネルギーを振り絞り、人と関わり続けるのは苦しい。元々笑顔は得意でないが、しばらくさらに上手く笑えていない気がする。
…まずは明後日が出勤でなくなることを切に願う。

死にたい私は睡眠不足

どういう状態まで達すれば、今の生活から抜け出せるのだろう。

本日は約2週間ぶりの通院だった。抗うつ剤は継続、減らす段階までいくには、まだ数ヶ月~半年くらいかかるらしい。ただ回復傾向にあることで、通院期間が少し延びた。
睡眠はある程度とれるようになったが、疲れがとれない。日中でも頭が働かなくなる。すぐ横になりたくなる。目を閉じてじっとしていると、少し楽になる。
本日は帰宅してからほとんどの時間を睡眠に費やしてしまった。寝過ぎたのか、頭が痛い。だるさや疲れは相変わらず抜けない。週の半ばはハードだ。週末になったら、少しは楽になるのだろうか。