死にたい私の生きる場所

生きづらさを共有したい。何の生産性もない日記。

死にたい私は頑張れない

頑張ることが怖い、という感覚に初めて陥った気がする。

頑張ることしか取り柄がなかった。一生懸命やれば、たとえ結果が伴わなかったとしても、誰かが見ていてくれる、認めてくれると思っていた。
頑張って頑張って頑張り続けて、そうして壊れた昨年の秋。ちょうど一年前の今日だった。私が初めて体調を崩し自分の都合で仕事を休んだ日。すべてを放り投げた日。

身体は確かに元に戻った。けれど、心はあれからちっとも前に進めていない。むしろ退化している。縛られている。

努力が出来なくなった。誰かのために、何かのために、頑張ることが出来なくなった。好きだったはずの音楽でも、練習に励めない。仕事に対してもやる気が出ない。楽しくない。人前に立つのが怖い。
毎日マイナスな感情を抱えて生きている。外から見た私は、健康で好きなことを仕事にして休みの日は趣味に勤しんで充実しているように見えるのかもしれない。けれど、私はちっとも幸せじゃない。幸せになりたくないと自分で呪いを、暗示をかけているのだろうか。あれこれ考えすぎるこの性格がいけないのだろうか。

消費する楽しみがあればいいのかと思って、舞台や映画、飲み、遊び、色々計画してみたけれど、乾いた砂地に水滴を落とすかのようで、瞬間しか効果が続かない。

頑張ろうとすると、壊れた時の記憶が甦って、何もできなくなる。怖い。自分が壊れるのが怖い。でもやるべきこと、すべきことが目の前に迫ってくる。それらは本来楽しむためにするはずなのに。その先の楽しみにたどり着く前に、諦めてしまう。その方が楽だから。けれど諦めた先に何も残らないのも痛いくらい分かってる。私は何がしたいんだろう。頑張りたい、頑張れない、頑張らなければならない、頑張れない。日々淡々と事を行えない私はそのループで回り続けている。


…ひとつだけ救いがある。死にたいとは思わない。生きるために、考える。

死にたい私と秋の気配

9月。猛暑はどこへやら、涼しくなった。秋の気配を感じる。

1年前、心に大きな異変を感じたのも9月だった。忘れもしない、3週目の水曜日。イフェクサーにお世話になったあの日。薬が合わず、さらに体調を崩したあの日。

1年無事に生き残れた事実に感慨を覚える一方で、やはり9月は私にとってダメな月だなと思う。仕事が楽しくない。やる気がしない。気持ちが乗らないからか、身体もどことなく疲れる。今日は少しだけ仕事を休んでしまった。誰かに迷惑をかけたわけではないけれど、少しの罪悪感。有休は権利であって、罪の意識を感じる必要はないのに。

おそらく8月とのギャップが原因だと思う。8月はおそろしく緩やかな生活を送れ、反面9月は多忙なのだ。正確には多忙というほどのことでもないのだが。1日8時間労働でさえ耐えられない身体に作り替えられてしまったと言った方が正しい。

仕事が楽しくないという私の発言に対して、仕事は楽しくなくて当然だと言う人がいた。つらいのは一過性のものだと言う人もいた。確かに楽しいだけでは済まないこともあるだろうし、辛いことや嫌なことだってそのうち終わるかもしれない。けれど、1日の大半をつまらないことに割けるほど、私は強くない。

秋は残酷な季節だ。きっと毎年この時期はダメになるのだろうと思った。心も身体も平静に保ちたい。

死にたい私の不穏な平穏

久しぶりの更新。文章の書き方を少し(だいぶ?)忘れたような気がする。

世の中は落ち着きがない状態が続いているが、私はここ数ヶ月平穏そのものな日々を過ごしている。職場が新しくなった。仕事の量は減った。きちんと週休2日得られるようになった。ルネスタやリーゼに頼らなくても生活できるようになった。セルトラリンも徐々に減っている。あと1ヶ月、本当に何もなければ薬は0になるかもしれない。喜ばしい。

GWはひたすら家に引きこもった。ゲームをしたり、ドラマや映画を観たりする気力が戻ってきた。自分のための勉強や運動も始めた。生きる力、活力とは、こういうことを言うのだろうと実感した。約半年前の私が本当に死にかけていたことを感じた。背負うものが無くなって身体が軽い。もう職場への道のりで吐き気を催すこともない。

ーーひとつだけ言えるのは、悪いことってのはいつか終わるってことだな。(中略)いいことがいつまでも続かないように、悪いことだってそうそう続くもんじゃない
大好きな小説の一節。誰かを励ましたいわけではない。私だけのための言葉。この言葉を胸に、私はきっと、明日も、生きる。

死にたい私と砂嵐

目の前が真っ暗になるような感覚。

随分とご無沙汰してしまったような気がする。多忙すぎて書く余裕がなかったのだろうか。それとも暇を持て余して死にたい私が出てこなかったのだろうか。

今日、久しぶりにそこそこ大きな失態を犯した。ほぼほぼ私が悪いので、それに対する異論はない。謝るしかない。私にはそれしかできない。

問題は、その対応をしている間に、目の前が突然砂嵐状態になったことだった。今日は具合が悪くなかったのに何故、と思った。立っていることができなくなった。会話もままならない。謝罪もそこそこにその場を切り上げたかった。応対が終わり、慌てて水分をとった。その時には視界は完全に砂嵐で埋め尽くされており、人の姿や物がぼんやりとした輪郭しか見えない状態だった。手元の飲み物でさえ、飲み口がほとんど見えない状態で口をつけた。時間にするとおそらく数分程度だっただろうが、水分をとってからしばらく経つと、その現象は収まっていった。

初めてその現象に襲われたのは小学生の頃だった。集合に遅れそうになり、急いで走っていき、着いた時には砂嵐。涼しい風にあたって少し休んだら引いていった。
その次になったのは、中高生の頃。熱を出して体調が良くなかったのと、月のものが近かったことも重なり、その場に立っていられなくなった。大学生も月のものが来ている最中に同じような症状が出た。
記憶がある中で最後になったのは、社会人になってからか。お腹を壊し下痢症状に悩まされている時にそれは起こった。

それらの現象はすべて、水分を摂取することで数分~10分程度で改善された。貧血か、脱水か。何はともあれ、あまり気持ちのよいものではない。昨日あまりきちんと睡眠をとらなかったのも原因だろうか。ストレス耐性が低下しているのも一因かもしれない。調べても同じような症例があまり出てこないため判別がつかないが、自律神経に関わってそうな予感もする。通院を始めてもうすぐ1年経つ。治療は年単位、その言葉が重くのしかかる。

死にたい私と楽器

音楽や楽器は、世界を広げるためのツールだ。

楽器を始めて(正確には今続けている楽器を始めて)はや10年経とうとしている。無駄に経歴だけを重ねて、技術的には殆ど進歩していないように感じる今日この頃。
元々音楽が好きで始めた楽器だった。憧れもあったかもしれない。ただ私は練習に対して真面目ではなかった。楽しみながら努力を重ねる、ということに不向きだった。
音楽に真摯に向き合っている人には到底言えないが、楽器を続けているのは、職場ではないコミュニティが得られるという側面が大きい。そこは酷く居心地が良い。出来ない私を許容してくれる器の広さがある。そこへ行くと、自然と笑顔になれる。

…明日は久しぶりに奏者としての本番を迎える。この演奏会を機に、辞めるか続けるかをずっと悩んでいる。音楽に対する熱量は、学生時代よりだいぶ下がってしまった。仕事とは関係のない居場所は欲しい。だが音楽はどうしても仕事の一部を思い起こさせる。社会的な私を忘れ、ただの一個人として明日の演奏会を終えたら、何か心持ちが変わるのだろうか。

死にたい私とチョコレート

バレンタインデーは、ただの平日である。

世間、職場、バレンタインと聞いて浮かれる者もいる。反対に、落ち込む者もいる。
私にとって昨日は、ただの平日だった。仕事日だった。さらに言えば、3週間ぶりの通院だった。今の状態は、経過は良好、油断は禁物、といったところか。ルネスタは無くても眠れるようになった。リーゼは日によって、必要だったり不要だったりとまちまちである。抗うつ剤は継続して維持用量を飲むことになったが、約1ヶ月後の経過が良ければ、少しずつ減らすお達しが出るらしい。そういう意味で、昨日は喜ばしい日だった。

連日、次に行く職場の情報を仕入れているのだが、こちらはあまり喜ばしくない情報を得てしまった。私が病む大きな要因となった業務を行っている人が、次年度から役付きになりさらに忙しくなるらしい。その方には今の職場で繋がりがあり、大変お世話になった方なので、恩を返すために出来ることならば補佐したい気持ちがある。一方で、まだ完治すらしていない今の状況下で、その業務に携わることになったら病状が悪化することも目に見えている。
…もう1年後だったら、私の病状も安定して、もう少し力になれたのかもしれないと、身勝手なことを考える。1年後、私は何をしているだろうか。想像がつかず不安に感じる面もあるが、それ以上に楽しみも感じるところである。

死にたい私の送別会

恩を仇で返すような心地がして、心苦しい。

今の職場で勤めるのもあと少し。4月になったら、新しい職場で働くことになる。
今の職場は嫌いではなかった。共に働く同僚や先輩は良くしてくださる人が多かった。業務は元々やりたかったはずのことだ。サービス業という職業柄、客とは色々あったが、それもなんとか収めてきた。ただ、どうしても受け入れられない仕事があった。環境が合わなくなっていった。体調は好転しているが、薬の力を借りながら半年ほど前の状態にようやく戻ったところだ。同じところで、同じ仕事を続ける気には到底なれない。今の職場を後にすることに、一抹の寂しさはあったとしても、後悔はない。

…先日、職場の送別会に招待された。丁重にお断りさせていただいた。年上の人ばかりが来る会合、職場の人に恩義もある。ただ、自分の都合で、我が儘で去る職場に、送り出してもらう資格など無いと思った。正確には、職場は変わるけれども関連会社へ転勤する、それだけの話だ。送り出してもらうも何もない。

お礼も言いたい。謝罪もしたい。でも私にはそんな資格もない。私に残された出来ることは、ただ終わりの日まで、懸命に働くことだけだ。早く、そうしてひっそりと、消えてしまいたい。