死にたい私の生きる場所

生きづらさを共有したい。何の生産性もない日記。

死にたい私が泣いている

人は可塑性と不可逆性を持ち合わせているらしい。

昔から涙もろい方だった。よく言えば感受性が豊かなのだが、悪く言えば情緒不安定。高校の頃から、その不安定さは年々顕著になっていった気がする。何かに追われて、追いつめられて、どうしたら良いか分からなくなった時にそれは溢れる。大学から社会人にかけては、怒りの感情も涙に変換されることを知った。悲しいことがあったわけでもないのに、涙が止まらなくなることが増えた。「混乱」、この一言が今の状態を表すには最もふさわしい気がする。情報が、感情が、処理しきれない時に溢れるようになった。それは同僚の前ならまだしも、顧客に対して思わず出てしまうこともあった。変えたいと思ったけれど、変えられなかった。

…最近は泣くこともなくなった。正確には泣けなくなった。本日、久しぶりに夜遅くまで働いた。元の働き方にわりと近い形で働いてみた。…無理だった。思考が働かない。久しぶりの頭痛、久しぶりにリーゼにお世話になった。仕事はもとより、雑談が辛かった。だいぶ快方に向かっていると思っていたが、やはりまだ万全ではないらしい。

人は変わりたくても簡単に変われないものだと思っていた。今日の働きから気づいたのは、私が変わってしまったことと、もう戻れないこと。変わってしまった自分を受け入れて、折り合いをつけていくことは酷く難しい。変わってしまった自分が悲しくて、やるせなくて、どうしようもなくて、久しぶりに少し泣いた。