死にたい私の生きる場所

生きづらさを共有したい。何の生産性もない日記。

死にたい私は書き続ける

書けるうちは、生きていかれる。


遠くに住んでいる、友人と呼ぶには遠すぎて、知り合いと呼ぶには近すぎる、インターネット上でのやりとりがほとんどの人がいる。
彼女は思考を活字化するのが得意で、感じたことや考えたことをサイト上に書き散らしていた。私はそれを読むのを日常のひとつの楽しみにしていた。書き散らされるそれは決して明るいものではないけれど、私に共感をもたらすものだった。

彼女の言葉選びが好きだ。彼女は生きるために書いているようなところがあった。書けるうちは、生きていかれると言っていた。彼女の書く作業は、彼女の言葉を借りるならば、「一瞬を永遠に」留め置くように思われた。

さて、仕事を休んだ昨日、休めたのかというとそうではないけれど、今日職場に向かえるくらいには元に戻った気がする。…正確には薬の効果で元に戻したというべきか。結局おかえりセルトラリンという感じではあるけれど、これだけ文章が書けるのだ。まだ私はきっと生きていかれる。しばらくグダグダとここに書き続けようと思う。