死にたい私の生きる場所

生きづらさを共有したい。何の生産性もない日記。

死にたい私とメンター

メンター…仕事あるいは人生上の助言者、指導者。
私にはメンターと呼べる、大学時代の恩師がいる。

昨日、死ぬほど病んでいる状態で、連絡をとってしまった。お世話になった方だからこそ、なるべく元気な姿を見せたいのに、私がその人の前に姿を現す時はいつも病んでいる。申し訳なくなる。

話を聞いてもらって、向こうの話も聞いて、同じような似たような悩みや思いを抱えて、それでも前へ進んでいるのだと知った。
悪いことばかりではなく、いいこともある。恩師が私にしてくれたことを、今度は私が未来の彼らにしてあげられている。
その事実は、私をとても嬉しくさせた。同じ立場、という恩師の言葉が胸をうった。

そんなメンターから授けられた曲、「がんばらない日」をテーマソングに、明日からもう少し肩の力を抜いていければいいなと思う。

死にたい私は書き続ける

書けるうちは、生きていかれる。


遠くに住んでいる、友人と呼ぶには遠すぎて、知り合いと呼ぶには近すぎる、インターネット上でのやりとりがほとんどの人がいる。
彼女は思考を活字化するのが得意で、感じたことや考えたことをサイト上に書き散らしていた。私はそれを読むのを日常のひとつの楽しみにしていた。書き散らされるそれは決して明るいものではないけれど、私に共感をもたらすものだった。

彼女の言葉選びが好きだ。彼女は生きるために書いているようなところがあった。書けるうちは、生きていかれると言っていた。彼女の書く作業は、彼女の言葉を借りるならば、「一瞬を永遠に」留め置くように思われた。

さて、仕事を休んだ昨日、休めたのかというとそうではないけれど、今日職場に向かえるくらいには元に戻った気がする。…正確には薬の効果で元に戻したというべきか。結局おかえりセルトラリンという感じではあるけれど、これだけ文章が書けるのだ。まだ私はきっと生きていかれる。しばらくグダグダとここに書き続けようと思う。

死にたい私はまた休む

1年ぶりに仕事を休んでしまった。当日ドタキャン。最低だ。

休んだところで休めるわけがないが、ここ数週間続く吐き気に限界だった。朝家を出る瞬間だけ、ものすごくしんどい。えずきながら毎日職場への道のりを歩いていた。職場についてしまえば、吐き気は完全に収まるのだけれど。

外側から見たら、やりたかったことを仕事にして、それなりのお給料をいただき、仕事量が減ったから休みも増え、文句の付け所がないところで働かせていただいていると思う。なのに、耐えられない。

休んでも休まなくても罪悪感。
働くことも、生きることも、とことん向いていない。

今から半年ぶりに通院する。治ったと思っていたのに、ダメなのかな。思考回路が負のループに陥っている今、いい答えは出そうにない。

死にたい私は頼れない

仕事のことで、ずっとモヤモヤしている。誰にも頼ることができない。

モヤモヤしているのは、仕事の中身について。納得のいく仕事ができていない。書いてみて、なんと贅沢な悩みなのだろうと再確認。

伝えたいことも伝えられていない、何も面白みがない。人前に立つ時、向こう側にいる人間は鏡のような存在だとはよく言うが、その通りだ。私の暗い感情を察してか、向こうまで暗い。お通夜状態である。

何かを変えないといけない。でも変えてもうまくいかない。最終的に、何をどう変えたらいいか、わからなくなる。

学生の頃はいったい何に向かって頑張っていたのだろう。目標がないから、ゴールがないから、こんなにも生きづらいのだろうか。最近はずっと死にたいって思っている。死ぬ勇気がないから、そんなことできないけれど。

死にたい私はえずいてる

毎朝、電車に乗るまでの片道5分間、ずっとえずきが止まらない。

症状が出始めたのは、たしか2週間くらい前からだったように思われる。起きて、食事をとり、外に出ると途端に始まる吐き気、えずき。初めは食べてすぐに動くのがいけないのだろうか、と思っていた。けれど、職場が変わってからの半年間、同じような生活を送っているのにも関わらず、同じような症状が出たことはなかった。何かが狂い始めている気がした。

特殊業務で職場を離れている時はまだよかった。けれど、通常業務に戻ってきて1週間。えずきの度合いはどんどん増して、朝食をとる前から吐き気を感じるようになってきた。
実際に吐くわけではないけれど、吐いた方が楽になれるのかもしれないと思わせるほどの感覚。毎日職場に向かうのが億劫になる。

電車に乗ってしまえば、何かのスイッチが入るのか、落ち着くのだ。職場に着く頃には、あんなに気持ち悪かったものが、霧散して消えてしまっている。平気なふりをして、仕事をすることができる。

だけど、集中力は明らかに欠いているし、疲れやすい。今日は日中も何処と無く漂う吐き気と戦い、頭痛とも戦い、そうして今。

久しぶりに、リーゼにお世話になってしまった。頭痛はなんとなく続いているけれども、胸は少し軽くなった模様。先日はドンペリドンにもお世話になった。昨年の記憶が甦る。あの頃はろくに睡眠も取れなくて、ルネスタで無理やり意識を落とす日々を送っていたから、それよりはまだマシか。余談であるが、睡眠導入剤による眠りのつき方は、決して心地よいと呼べる代物ではなかった。

きっと明日も明後日も、えずきながら職場に向かうのだろう。これ以上症状が続くようだったら、心療内科に戻らなければならないかもしれないなと思う今日この頃。今度こそ原因がわからないから、対処療法に頼るしか無くなるのだけれど。

死にたい私と料理

私はやっぱり、食べることがどうしようもなく苦痛だ。


最近料理を始めた。家ではなく、教室で。食が身体を受け付けてくれなかったことや、そもそも食に興味のない私からすると、青天の霹靂、天変地異でも起こったのではないかという有り様だ。
思い至ったのは他でもない、今の相方と、もしかしたらまだ見ぬ未来の相方に対して。自分が生きるための料理は作れないけれど、他人と共に生きていく可能性が1ミリでもあるのならば、料理くらいできなければ、と思った次第。

結論からいうと、料理自体は嫌いではなかった。苦手ではあると思うけれど、少し積み重ねれば私でも何か作れるかもしれない、という気持ちにはなった。他人のためなら尚更、頑張れるかもしれないとも。

問題は「食べること」の方にあった。教室で作る料理は、当然ながら当人が食べなければならない。
苦痛で仕方がなかった。与えられたその量が。さらに言うとその量を消費しなければならない時間が。多少の好き嫌いは我慢する寛容さくらい備えている。けれど量は別だ。食が身体を受け付けるようになってからも、1人前と呼ぶには程遠い量で私の身体は順調に回っている。0.7人前で私の身体は動くのだ。

にも関わらず、出される量は当たり前だが1人前である。食べきれない量が目の前に置かれる絶望。
しかもそれを15~20分くらいで消費しなければならない。手のひらサイズのお弁当でさえ30分かけて食べる私に、食べきれるわけがない。しかし捨てるわけにもいかない。八方塞がりである。

そうして無理やり消費を続けているうちに、小学生時代の苦い記憶が甦ってきた。食べきれずに昼休みに突入しても食べ続ける私。周りが他のことをしているのに、私だけちっとも次に進めやしない。
私の食嫌いのルーツはきっとここにあったのだろう。先日料理教室は楽しいかと聞かれた。食べること、この1点に関しては楽しいと思えるようになる気がしない。

死にたい私は駆け上がれない

20代は最も人生にバラつきが見え始める時期だ、と思う。

先月の半ば、高校時代の友人(と呼ぶにはだいぶ疎遠となってしまった方)が結婚を決めた。数日後、趣味の領域で出会った1つ年上の方が入籍をした。1週間後、大学時代の友人が結婚して苗字を変えた。先月末、数歳上の親族が妊娠した。今月初め、大学時代の別の友人が旦那の転勤で遠くへ行ってしまった。本日、インターネットの世界で出会えた1つ年上の方の妊娠が発覚した。

ほんの少し前から、そのラッシュの気配は感じていたのだ。仕事が安定して、結婚して妊娠して出産して子育てして。そうして様々なことが変わっていく。人生の階段を駆け上がっていく。
他方、仕事に就けていない親類もいる。離婚してしまった友人もいる。結婚を悩む相手すらいない人もいる。大学や専門学校に戻った友人もいる。

さて、私はどこに向かっていきたいのだろう。少し前までは、このようなことを考えることそのものが贅沢だった。毎日死にたいって思っていた。ただ今日1日をどう生き延びるかで必死だった。それに比べたら今の悩みなんて贅沢で喜ばしいことだ。
少しずつ、目に見えない圧力がかけられているのを感じる。単に私が感じているだけなのかもしれないけれど。

学生時代はロールモデルがちゃんといて、「みんな」と同じようにレールに乗っかっていれば通り過ぎていくだけだった。
社会人になった今、レールは呆気なく外された。進むペースも、進む道も、何もかもが違うようになった。そもそも道なんて存在していない。荒野だ。
この荒野を、自分がどう進みたいか、決めるのは自分自身であるはずなのに、全く分からない。私だけ就職した時と何も変わらぬまま、取り残されている気分だ。